クライマックス法(2022年9月13日)

今から30年も前の話しである。

当時、中学3年生の修学旅行は班毎に各地を見学することが主流だった。

ある班のコースでは、保津川をトロッコ列車で遡り、帰りは小舟で下るというものがあった。

危険がともなうので、私が付いていくことになった。

6名の男女と私の乗った小舟は激流を下った。

早瀬に興奮していた生徒たちも、だんだん慣れはじめてきた。

ある角度を曲がると、開けた川岸が現れた。

と、3人の男子高校生が背を向けて立っていた。

彼らの先に何があるのかと注目したとき、3人は前屈し、いっせいに黒ズボンを下げた。

白い大きな桃が3つ、ぶりっと並んだ。

「ウオオッ!」

という喚声が舟からあがった。

当時、流行していた尻出しである。

3つの桃は、あっという間に視界から消えた。

「先生、オレ、ゼッテーやるぜ。高校さ行ったら!」

という声。

見ると、一年のときに担任したT君であった。

家庭訪問のとき、玄関で甲斐犬と一緒に私を待っていたT君。

犬に似て小柄だが、活発で足が速かった。

運動会の全級リレーで6クラスあるなか、1位になったこと。

T君はアンカーを務めたことなど浮かんできた。

T君の鼻の下の産毛がだいぶ黒さを増していた。

この子ならやるだろうな、と思った。

船頭の竿さばきに見とれながら、飛沫に身を縮め、舟は下る。

前方に岩を砕いてよじれるように流れる激流が出現した。

すると、先ほどのT君が、

「先生、これがクライマックスかなあ?」

と大声で指さした。

私ははっとした。

1年のとき、クライマックス法を教え、『初年の夏の日』を読んだ。

この子はクライマックス法を自分のものにしたなと思った。

人間はなにかをプロデュースするとき、クライマックスのような最高の山場を設定するということを、念頭においてものごとを見るように成長したことがうれしかった。

国語科は、2人の教員で担当していたので、2年、3年は教えていないのに。

生徒も私も固唾を飲んで構え、船頭に安全をゆだねた。

ビニールで飛沫を防ぎ、やっと難関を乗り切った。

穏やかになった川面に土産物を売る小舟が遊よくしている。

その向こうに、渡月橋が横たわっていた。