熊野以素コラム

「925」



「わきまえない女の話」(2021年2月26日)

 

50年前初めて職員会議に臨んだ私は、1つの決心をした。
「必ず1回は発言しよう」というものである。
当時の府立高校の職員会議は民主的に運営されていた。
新設校なので教育方針をめぐっての議論は活発であった。
しかし、発言のほとんどは男性で、年嵩の女性教諭が一人奮闘という有様だった。
そこへ飛び込んだ27歳(筆者)の新任教諭の発言は今思えば未熟なものだったろう、反発は強かった。
まもなく、私は産休に入り切迫流産で欠勤した。
当時は病気でないという理由で代替の教員がこない。
他の教員が授業を肩代わり... ...とさんざん迷惑をかけた。
育休制度もなく、昼休みは抜け出して母に預けた長男の授乳にいく。
社会科の同僚は何も言わずに見守ってくれたが、他教科の年配教員や保護者の反発は厳しかった。
面と向かって「どうしてやめないのですか」と迫られたこともある。
私は歯を食いしばって、今に見ていろ、必ず立派な仕事をしてみかえしてやると誓った。
そして相変わらず会議ごとに発言した。
挙手する私を見て、あからさまに顔をしかめる人がいたが無視した。
もちろん、女性教員も組合も支えてくれた。
ところが、年子の次男が生まれ、1000人待ちの保育所には入れず、実家の母が病に倒れるという事態が起こった。
さすがに「やめようか」と口走った時、夫が「資本主義の世の中に生きているんや、給料全部ほおる気になったら何とかなるで」と言った。
ベビーホテルに子どもを預けて働き続けた。
職員会議において「必ず1回発言」は守り続けた。
やがて何回も発言するようになり、ついに議長席につくようになった。
議長になって心掛けたことは、なるべく多くの人に発言してもらうことだった。
徹底した議論をしなければよい仕事はできない。
すぐに終わってしまう会議は命令の伝達にすぎない。
会議を早く終わらせようというのは権力者の志向だ。
わきまえない女が頑張らなければ!


「元市議の視点」(2021年2月9日)

 

「9と25」は、豊中市議時代の一人会派の名称です。
「どういう意味?」と質問されたことがあります。
「『平和主義・戦争放棄』という憲法9条、『生存権の保障・国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない』という25条」と答えると皆さん納得! 

今の政治状況を元市議の目で表現してみました
「無為無策」
なんの対策もたてられず、ただ腕をこまねいていること。

例・世界一病床が多いのにコロナ患者を受け入れる体制を作らなかった厚労省

「言語道断」
言葉に表せないほどあまりにひどいこと。

例・国民には自粛をお願いし、罰則まで用意しておきながら、自分たちは、宴会のはしごをする自民党議員

「男尊女卑」
男性を重くみて、女性を軽んじること。

例・女が多いと会議が長引くという会長

「小心翼々」
気が小さく、びくびくしているさま。

例・国会で突っ込まれ、答弁する首相

野党には「快刀乱麻を断つ」質問を期待しています!
☆質問は議員の命 詳しくは「"奇天烈議会”奮闘記」をお読みになってください。


言葉の力(2021年1月18日)

 

「歴史上永遠の昔からこの世界に最も偉大な変革をもたらしたのは語られる言葉の魔力である」
こう語ったヒトラーは演説の名手であった。

その演説に感動し熱狂した普通の市民=多数のドイツ国民がヒトラーを独裁者の地位に押し上げた。
それほど魅力的だった彼の演説の特徴は?
1つはワンフレーズである。
「ドイツ人は偉大な民族だ」
「支配民族だ」
「ドイツは勝利する」面倒な説明はない、単純な言葉を何度もくりかえす。
常に敵を作りあげ、攻撃する「ユダヤ人は寄生動物である」「排除するしかない」巧みなジェスチャーとともに叫ぶ。
根拠などは不用、嘘も100回言えば真実になる。
ヒトラーに学んだとしか思えないのがトランプ大統領である。
「アメリカンファースト」
「アメリカを再び偉大に」
「私は圧勝した」
「勝利が盗まれた」
ワンフレーズをくりかえし、デマを刷り込み、「議会に向かって行進を」「強くあれ」。
その結果が暴徒によるアメリカ議会乱入……。
言葉の魔力の恐ろしさである。

では、口数が少ないのがよいのか、そうではない。
先日の緊急事態宣言発出の記者会見。首相は下を向いて原稿を読み上げる。
言葉には感情がこもっていない。表情も終始硬い。
思い出した。首相の官房長時時代の決まり文句は「指摘は当たらない」「おこたえする必要を感じない」首相になっても学術会議問題などで同様な発言を繰り返した。
演説が下手との定評があるそうだが、彼は自分の「言葉」をもたない人なのだ。
そのうえ、言い間違える、質問にまともに答られない。
正しく話せない理由は、緊急事態宣言が首相自身の決断ではなく、知事たちや専門家に迫られてやむなくなく出したものだからであろう。発せられる言葉から人の内面が透けて見える。
空疎な言葉で語られた緊急事態宣言が国民の心に響くはずがない……。
 
対照的なのはドイツのメルケル首相である。
昨年3月の国民向けスピーチでは「自由の制限」を強いることの心苦しさをにじませつつ、丁寧な説明とともに、自粛を求めた。
終始前を向き、口調はあくまで物静かであった。
12月の議会演説では一転、目に涙をうかべ「今年のクリスマスを我慢すれば、来年はおじいちゃんやおばあちゃんと皆でクリスマスが祝えるかもしれない。

でも我慢しなければ、最後のクリスマスになるでしょう」と訴えている。
内面から発せられる言葉、心のこもった言葉、相手の状況を思いやって語られる言葉こそが人の心に届く。

これが本当の言葉の力である。
この危機の時期、国民に語りかけることさえできない首相に政治を任せてよいのだろうか。